四国の左下で活動中 私こと1091の、雑多なことをいろいろと書き留めています。


by mina1091
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

終わりの始まり

こんな内容を書くのはどうか、とも思うけどこのブログは1091の思うことや身の回りの出来事を描くとしたものなので読む方にはご了承していただいて・・・

先日、愛犬のももと近所の堤防を散歩していた時のこと
誰かが植えたようですが、彼岸花が満開でとても綺麗に咲いていました
写真をと思ったのですが、ちょうどカメラを持っていませんでした
後日、再びその場所を通りかかると、残念ながら花は茶色く萎びて枯れていました
写真を撮り損ねたと思いましたが、その枯れた花をよく見ると種子ができている
この種子が落ちて来年にはまたこの辺りに綺麗に咲くだろうから、その時までお預けだな、
この花は枯れたけど次世代に繋げているのだ、と思いました
そばには白粉花(おしろいばな)が赤い小さな花をふたつみっつ咲いていて、これから咲くであろう蕾もたくさんつけていました
季節もこうやってつないでゆくのだな、とそのとき素直に感じました


昨日、近い身内の葬儀を滞りなくすませてきました
享年55歳、肺癌でした
彼は数年前に煙草もやめ、日々ウォーキングなどで体力作りに精を出して取り組んでいましたし、健康診断も定期的に受診していたようですが、間が悪かったというのか僅かな時間差があったというのか、診断された時点では手の施しようがない状態でした

闘病生活は発覚からわずか5カ月でした
まだ若いので体力はあるけどその分、病状の進行が早いという納得しがたい現状がそこにはありました
その間、家族・親族は献身的な看病をしてきました
しかし治癒の見込みはなく、ただ手を握り、背中をさすり、声をかけるだけしかできませんでした

まだ子育ての途中でもあり、想いを残すのは否めないでしょう
余命3か月と診断され5ヶ月間頑張ってくれましたが、彼は我々にやつれていく様を見せ、身近な者の心の整理のために頑張ってくれたのではないかと思っています
この5カ月という時間は残された者が彼を見送るための心の準備期間であったと思えてなりません


彼の宗派は浄土真宗です
その教文に白骨の御文章というものがあり、灰葬のちの還骨のおりに語られるものですが、文脈が1091には心に残るものであったので紹介します

朝には紅顔ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。

訳はこんな感じです
≫朝には血色の良い顔をしていても、夕べには白骨となる身です。もはや無常の風が吹いてしまえば、即座に眼を閉じ、一つの息が永く絶えてしまえば、血色の良い顔がむなしく変わってしまい、桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、一切の親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、どうする事もできない。

要旨は、
人の生涯は儚い幻のようなものだ。今は元気でも、次の瞬間には死んでしまうかもしれない。死は、年齢を問わない。
これからの、明日からの、この瞬間からの生き方を考えましょう。
ということのようです
(もちろん最後には宗教への勧奨する括りですが)

たしかに人生とは儚いものだと、近い親族の葬儀に立ち会って感じました
葬儀、という締めくくりの行事で彼の人生は幕を閉じましたが、残された者にとっては終わりではなく始まりの瞬間だと思うのです
もちろん彼は結婚もしており子供も儲け、まだ幼い子たちですが、その遺伝子は受け継がれています
残された者たちは、彼のいない生活を始めなければなりません
彼のいない家族も、ほかの親族も、職場の仲間も友人もです

冒頭の彼岸花を含め生き物だけでなく、世の中のすべての事柄にも、終わりの始まりはあるのでしょう
1091も3年前に辞職しサラリーマン生活に終わりを告げましたが、独立開業という始まりがありました
事業を展開する方も勤め人も仕事における企画や施策も一つが終われば次の企画に取り組まねばなりません
足を止めることはできないのですね
終わりの始まり、この記事の表題はそういう意味でつけたものです

これを読まれた方に、決して大層な御託を述べ強要するわけではありません
1091は、
人生とは儚い
いつどのようなことが起こるかわからないから、充実した毎日を送りたい、
と想っているということだけです
by mina1091 | 2012-10-09 17:41 | 弘田漁協